ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

幻想

 

そういえば、全部それなりだった。

 

勉強だって、運動だって、全部それなり。

100点を取ることはあまりない。しかし、どの教科でも平均+15点くらいは安定して取れた。それなりの学校で、総合順位はいつもそれなりだった。どんなに真剣に勉強をしても1番にはなれず、どんなに手を抜いても赤点は取らなかった。

運動は特別何かやっていたわけではないが、やり方やコツを教われば、体育の授業では大体活躍でき、リレーだって最低でも補欠だった。だけど、エースでもなかった。

 

今まで、おそらく、大人に気に入られるために生きてきた。明確に目標にしていたわけではないのだが、特に小学校から高校までは、先生に認められるであろう行動を無意識に選んでやっていたと思う。

大人になった今だからわかることだが、教師から見ればすごく物分かりのいい楽な生徒の典型だった。好き嫌いに限らず、どの教科の勉強もそれなりにするし、話を聞くときはちゃんと注目するし、うるさい友達が近くにいればそれとなく注意して教室内の治安を保った。提出期限は基本的に守るし、誰かやってとクラスに投げかけられることがあれば、周りの様子を見て手を挙げた。親と担任との面談の後、必ず報告されるのは「貴方のことは特に心配してないってよ」、のみだった。

 

それを人は「優等生」であると評価するが、今になってみると、ただの「都合のいい」女じゃないか、と思う。わたしは、つまらない人間だ。

 

唯一、教師に真っ向から歯向かった記憶がある。小学六年生の時、担任が算数の授業で、体積の定義をおかしな表現を使って説明していた時だ。普段求められたことしか発言しないわたしが、あの時ばかりは何度も手を挙げ声をあげ続けた。なんでですか?それはつまりこういうことですか?それは違うと思います!と、それはもう、生き生きとしていたことだろう。でも、授業の後「少し言いすぎちゃいました」としっかり謝りに行ったのも覚えている。当時のわたしはきっと、チャイムが鳴った時、何かが怖くなったのであろう。

あぁ、あと先生を悩ませた事といったら、高校生の時にスカートの丈が短かったことぐらいだろうか。確かにあれは結構短かった。スカートは膝丈、という校則がある中、膝上12cmの丈にスカートを自分で裾直しをして、さらに毎日そのスカートを折り込んでいたくらいだ。短い。隠しているよりも、出している太ももの面積の方が多かった。でも、素行が良かったためなのか、注意されそうな空気感で話しかけられた時に上手く話題を逸らしていたためなのか、結果あまり問題視されずに、真正面から怒られることはなく、3年間をやり過ごした。大人、ちょろいな。どうかと思う。

 

怒られることは本当に少なかった。何かが出来ない、何かをしない、ということがあまりないし、大人から見て良くないとみなされるであろうことは絶対にしなかったからだ。滅多に怒られないということは、昔のわたしの自尊心を保つのに十分な要素となった。

が、今からしたらコンプレックスである。あまり怒られたことがないことが、コンプレックスだ。

 

怒られた記憶を掘り起こしてみる。

親に一番怒られたのは、お風呂でスーパーボールを使って遊び、そのひとつを流してしまった時だ。怒られている途中で「いつも排水溝の蓋を閉めていないのが良くないのではないか」と口ごたえをしたのが良くなかった。人生で唯一、お尻を出せと言われてビシバシ叩かれた苦い思い出だ。一度お尻叩きを経験したわたしは、二度と叩かれることはしないと誓った。四つん這いになってお尻を出す格好がどうしても屈辱的だったのだ。

学校では、高校二年生の修学旅行、待ちに待った自由行動の日に、グループで事前に提出していた計画をまるっと無視して、「京都最強のB級グルメ」と言われていたうどん屋さんに行き、3時間並んで食べて、全員で反省文級のお叱りを受けたのが唯一と言ってもいいだろう。ホテルに帰った時に、途中のチェックポイントに寄らなかったことからバレてしまったのだが、「なんでこのグループにはお前がいるのに、こんな事をしたんだ」と言われたことを強く覚えている。わたしは期待されているんだ、とはっきり自覚したと同時に、なんだか嬉しくない期待だとも気づいてしまった経験だった。冬の入り口の京都は寒かったが、外で3時間行列に並んでいるときは全く寒さを感じなかった。うどんも本当に美味しくて、修学旅行の中で一番印象に残る食事となった。それなのに、なんで怒られなければならなかったんだろうか。どうして、学生時代に唯一怒られたのが、うどんなんだろう。(※ここは笑うところです)

 

わたしが常に、呪いのように言われてきた言葉がある。

「オトナびているね」「オトナだね」

当時は言われて嬉しかった。周りと比べてオトナ。わたしは一般的な速度よりも早く、オトナになれたんだ。階段を3段飛ばしで登って、上から友達を見下ろし、早くおいでよと、優越感に浸っているような気分だった。

さて、オトナとはなんだろうか。

少なくとも、わたしが今大人になって唯一思うのは、大人が言うオトナなんて、ただ都合のいい言葉だ、ということくらいだ。

 

 

期待、ということをかけられて嬉しいときはどんなときだろう。何かを成し遂げた後に「君ならできると思っていたよ」と言われても、後出しジャンケンなんてダサいなぁと思ってしまうし、どうせ本心ではないだろうと、受け止められず聞き流してしまう。一方で、成し遂げる前の期待は非常に苦しい重圧となる事が多い。自分のためにやろうとしていたことも、少しよそ見をする間に、誰かのために成し遂げなければならないことに変貌し、それはわたしの中での重みがかなり増して、ふとした時に投げ出したくなってしまう。あれ、こんなに辛いつもりじゃなかったんだけどおかしいなと思う頃には、予定からはかなりオーバーした、すり減らした精神の残骸が無惨にも積み重ねられ、それを静かに見つめるほかにできる事がない。それをも乗り越えて成し遂げられたとしても、その成し遂げた結果よりも壁を越えたことへの達成感の方が大きくなってしまう。外部からのストレスがかかると、目指すものは何なのか、何のためにやっているのか、見失わずに最後まで走り抜けるのは難しい。

また、人に期待をするということも、あまりいい心持ちではないと思っている。勝手に期待したその結果とは異なる結末を迎えた時、必ず少しは期待外れに感じてしまうだろう。その"裏切り"の責任は、その人にあるんだろうか?その人が悪いのだろうか?いや、全部全部、自分が悪い。悪いというより、愚かだったとしか言いようがない。自分の見込みがずれた、ただそれだけなのに、その人に対しがっかりしてしまうのは、申し訳がないように思う。

 

……と、いうのが「期待」についての、私の昔からの持論なのだが、この考えを根底に持って生きてきたわたしは、至る所で「冷淡」「達観している」というようなレッテルを貼られてきた。お互いが受ける傷を最小にしようとしているだけなのに、なんで冷たいイメージになってしまうんだろうか?君ならできる、君なら必ず大丈夫だと声をかけ続け、お前ならできるぞ、お前なら必ず大丈夫だという声を真正面から受け止めて、そうやって、受ける風や傷を諸共せず突っ走る人が、温かい人なのだろうか?

わたしはそんなに、強くないなぁと、少しだけ落ち込んでしまう。

 

 

口から出る言葉はいつもポジティブ寄りのニュアンスで、どんなに辛くてどんなに悩んでいても、「まぁなんとかなるよ」「案外大丈夫だよ」「楽しいこともたくさんあるよ」と言ってしまう。いや確かに嘘ではなくて、そういう考えもわたしを構成するのに確実的な要素なんだけど、だけど一番に言いたいことは、こんなことではない。

それなのに気づけば強がってしまうのは、昔からオトナであるように意識してきたことと、周りの期待を裏切りたくないという、過剰な自意識によるものだと思う。

しかしこうも文章にすると、ネガティブ寄りの言葉ばかりが目立ち、全体の雰囲気は湿っぽくて暗い。

 

果たして、本当の自分はどこにあるんだろうか。どちらも嘘で、どちらも本当のわたしと、これからも向き合っていかなければならない。