ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

なんて言ったらいいのかわからない

 

「あれ?左利きなんだ??」

 

 

私は食事をするとき、たまにこう聞かれる。

 

このとき、それへの返答として第一声に相応しいのは

「うん、」

という肯定なのか、

「あ、いや、」

という否定なのか、

 

私は22歳の今でも、正解がわからない。

 

 

 

 

私は生まれたとき「左利き」であった。

 それに気づいた祖母は、「左利きは苦労するから」と母親を説得し、右利きに矯正したのだという(物心がつく前だったので、私はもちろん覚えていない)。

物心がついた頃には、私は右手でご飯を食べ、右手でハサミを切る、右手でお絵描きをして、右手で歯磨きをする、正真正銘の「右利き」になっていた。母からも、「パパもママも右利きだから、あなたも右利きなのよ」と言われて、そういうものだと思っていた。

 

体育の授業で、左から踏み出した方がやりやすいことが多いように感じたのは、小学生にあがった頃だっただろうか。母親に相談すると、矯正された過去を教えてくれた。

そこからスポーツ関連はほとんど「左利き」になった。右では上手く蹴られなかったサッカーも、全く打てなかった野球も、「左でやっていいんだ」と知ってから変えてからは急に上手くなった。思い込みは怖いなと思う。

 

上で挙げたようなスポーツ関連のことは「左利き」になったが、ペンやハサミを扱うときは、矯正された成果が残り右手を使った。まぁ練習すれば左のほうが上手くできたのかもしれないが、特別元に戻す意味も感じられなかったからだ。

 

そうして私は、「基本右利き、でもスポーツは左」と説明するようになっていた。

 

 

 

 

 前回の記事(失ったものは、かえってくるだろうか)でも触れたが、私は高3の6月に右手に疾患を抱えた。

正しく言うと、「普段よく使っている右手に症状が現れた」だけで、左手も酷使すれば同じ症状が出る。

 

受験生だった私にとって、筆記は最も優先しなければいけないことであった。その筆記は、右手でしかできない。筆記は手に一番の負担になるので、他のことはできるだけ左手でしなければいけなくなった。

「頑張って左手で筆記ができるように練習してみようかな」

「そしたら君、左手を痛めて生活ができなくなっちゃうよ」

ギリギリの状態だった。

 

 

 

だから、左手で食べる練習をした。右手は筆記以外しない。

もちろん、慣れるまではすぐに左手が痛くなる。生活が難しかった。

慣れてきた今でも、左手の調子が悪い時や重いカトラリーが出てきた時は、泣きながら食事をすることになる。突然左手が震え始めて、その時食事中だったものを断念することもある。苦しい。

 

 

 

受験が終われば筆記をすることもほとんどなくなるよね、と思っていたが、普段何気なく書く場面はいっぱいある。レストランに並ぶ時、役所に行った時、ポイントカードを作る時、ホテルに泊まる時、、、。

そんな時いつも、眉間にしわを寄せて、だんだん痛み始める手と、起こり始める眩暈を我慢して、それでも「何気ない」フリをする。普通の人にとったら、「何気ない」ことだからだ。

 

 

 

 

食事をする時、何かを書く時、そんな生活の中で当たり前に出てくる場面で苦しい思いをするようになって初めて、「苦しまない、何気なく何気ないことができたあの時までの状況は、とても幸せだったんだ」と気づく。

 

気づくのが遅い。何て不幸なんだ。失ってからしか気づけないなんて、人間は不幸だ。

 

 

 

 

何て言ったらいいのかわからない、わからないけれど、

 

 

 

何気なく歩けて、何気なく喋れている。

何気なくモノを噛んで、呑み込める。

何の気なしに世界を目で見て、耳で聞いている。

そんなことが、今、できている。

 

 

 

 もっと感謝しなくてはいけない。

 少しの不幸と同時に、私は大きな幸せを持っているのだ。