ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

食事が怖い

私は食べるのが遅い。

 

幼少期から、家族で食事をしていても圧倒的に食べるのが遅く、私が半分ほど食べ終わる頃には他の家族はみんな食器を片付け、リビングに行ってソファーに座りテレビを見ていた。私はその家族の背中を見て、必死にもぐもぐした。

 

小学校の頃、給食の時間が何となく嫌だった。給食当番の子一人一人に「少なめで!」と声をかけて、なんとか給食の時間内に食べられるよう調整することを覚えたが、それだといかんせん量が足りなかった。食べるのは遅いが、小食では決してないのだ。しかし、みんなに合わせるためには仕方がなかった。小学校ではなぜか早く食べ終わるのが善で、時間がかかるのが悪だった(いや大人でもそうなんだろうか)。授業が伸びて給食の時間が短くなった時は先生を恨んだ。小学校の時、私はかなり痩せていて、かといってそれは(家ではしっかり食べていたので)給食の量は関係がなかったのだが、周りの男子にすごくからかわれた。つけられたあだ名は"骨子"で、給食の時は必ず「これだから骨子なんだよ」と言われた。私だってみんなと同じ量を食べたかった。が、休み時間にみんなの姿を見ながらもぐもぐするのは避けたかったので、我慢した。

 

中学生になり、吹奏楽部に入った私は、昼練に行くためにお弁当を急いで食べる必要があった。最初のうちはお弁当を残して昼練に向かったが、残して帰ると母が悲しい顔をするので、量を減らしてほしいと伝えた。友達には「そんなんで足りるの?!だからそんなに痩せてるんだよ!」とお腹をつつかれた。食べきれなかったお弁当は5時間目と6時間目の間に食べるようにしていたが、全く休息にならなかった。でも高校に入る頃には早食いの術を身につけて、人並みのお弁当を人並みのスピードで食べられるようになった。これで悩むことはないだろうと、なんとなく安堵しながら、お弁当をかきこむ毎日だった。

 

高校を卒業して大学生になり、集団でご飯を食べに行く機会が増えたのだが、そこで「早食いマジックがかかるのはお弁当の時だけ」ということに気づいた。私はどこの場に行っても、必ず最後までもぐもぐしていた。新歓の時期、先輩に連れて行ってもらったお店が安くて大盛りの中華のお店で、みんなその量にびっくりしていたのだが、それでもみんな、お箸を持つとあっという間に平らげた。なんで?!と思いながら、私も頑張って食べたが、なかなか減らなかった。料理はちゃんと美味しかった。先輩に「焦って食べなくていいからね」と言われて、それで自分の食べるスピードの遅さを認識されていることが自覚されて、余計焦った。だんだん味がしなくなる。新歓で同期も先輩も初対面の人ばかりだったから、どう思われているんだろうとひどく気になった。

 

女友達と2人でご飯を食べる時だって、必ず友達の方が食べるスピードが早い。たまに悪気なく「意外と食べるの遅いんだね、普段はテキパキしてるのにね」と笑われる。笑い返してごめんねと言えばいいことなんだけど、こればっかりは気にしてることだから、苦笑いしながら心の中でごめんなさいを連呼する。多分相手はそこまで気にしてないことが多い、ことはわかっている。

 

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デートの時、男の人の食べるスピードに比べたら申し訳ないくらい遅い。優しい人が多いので、ゆっくり食べてねと言われることが多いが、もちろん焦る焦る。イライラさせているんじゃないかと不安になるし、食べてるところを見つめられると、何か変かなとか、食べ方汚くないかなとか、何を考えてるんだろう遅いなって思われてるだろうなって考えてしまって、余計喉を通らなくなる。相手が暇そうにしている中必死でもぐもぐしている時間は本当に吐きそうになる。一回ラーメンを食べに行った時、「もうお前とはラーメン屋は来ないわ」と言われたことがあって、それは本心なのかギャグなのかわからなかったけど、私はとっても落ち込んだ。大好きなラーメンだが、それからあまり食べていない。(1人で食べに行くにも、店員さんに『このお客さんは食べるのが遅いなぁ』と思われているのではないか、と考えてしまうのだ。)

 

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石垣島で食べたソーキそば。塩味が絶妙で、ソーキはほろほろ。



 

食べるのが遅くてコンプレックスだ、という話をすると、「かわいいね」とか「女の子って感じだね」とか言われることが多い。ごく稀に「かわい子ぶらなくていいよw」「女の子ぶるなよw」と笑われる。私自身、可愛いキャラではなくどちらかと言うとサバサバあっさりしたキャラだから、余計"ぶっている"ように見えるのかもしれない。

そんなんじゃないのに。私は、真剣に悩んでいる。ごめんなさいと思いながら食事をする時が本当に多い。食事が怖いとすら思う。

 

食べることは好きだ。多分人並み以上に食に興味はあって、美味しいお店を開拓したり、自分で作ったりするのも好き。その土地の料理を食べたくて旅行に行くこともあるくらいだ。

「人生の食事の回数は限度があるから、一回一回を大切に、美味しいものを食べなさい」という亡くなった祖父の言葉を大事にしていて、だから、食事が苦しい時間になってしまうのは本当は避けたい。美味しいものを食べている時は幸せになれるし、美味しいものを食べるために遠くまで足を運ぶのもまた、趣深いものだ。

 

 

そんな大切な食事だが、一般的な誘い文句が「食事にでも行きましょう」「飲みに行きましょう」であるように、非常にライトでハードルの低いものと認識されているように思う。ただ、「食事は口、つまり粘膜を見せ合うものだから、すごく性的だ」という説もあり、また「食事で得られる快楽とセックスで得られる快楽は似ている」なんてことも言われていて、どうやら奥が深いようだ。ライトなのか、特別なのか、よくわからない。

食事をやめる、ということは人生で出来ないので、食事をする時間に出来るだけ辛さを感じないようにしたいのだけれど、記述したように相手にどう思われるのかが気になったり、あとはアレルギー持ちであったりで、なかなかプラスの気持ちを100%近くまで持つことができない。(アレルギー、仕方ないと分かっていても面倒だと思われていそうだ。悲しい。)最近は慢性的に胃を壊していて、調子によっては全く食欲がなかったり食べられなかったりもするので、余計懸念事項が多くなっている。

 

 

食事が怖い。普通では、よくわからない感覚であろう。食事の時間は楽しく幸せでいたいものだ。

とりあえず、絶対に食べるのが遅くても気にならないと断言できる人と、一緒にラーメン屋さんに行きたい……。ラーメン食べたいなぁ。