ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

そんなもんか。

 

大抵は、考えすぎだと思う。

「最近、あの人から返事が来るのが遅い」「既読がつくまでの時間が長くなった」「予定が合うことが少なくなってきた」と悩み始めた時、相手はたまたま忙しい時期かもしれないし、たまたま読書にハマりだしてあまりスマホを見ていないだけかもしれない。あるいは、時間が解決してくれるようなその時その人の気分の問題かもしれない。いつだって自分自身に理由があるのではないかと考えるのは、自意識が過剰だとわたしは思う。

・・・と、言い切りたいところだが、そうもいかないのが現実だ。嫌われたのか、避けられているのか、他にもっと仲良しな人ができてどうでも良くなったのか。これを気にし始めると悪循環になる、と分かっていても、きっとどれかなんだろうなと考える。しつこい人は余計に嫌われるし、自分からアクションを起こせば起こすほどに負の気持ちが相手の中で加速する気がして、結局何も出来ない。減っていく交流。あぁもう、悩むのも体に悪いし考えるのやめようと、気持ちが切り替わりつつある中、急に来る連絡、「やっほー、最近どう?久しぶり笑」。

あぁ。そんなもんか。そう思いながら、久しぶり、元気だよ〜と返す。もう前よりも、気持ちは離れて・・・いや、そんなことはないんだけど、めちゃくちゃ嬉しいんだけど、意識して離そうとした気持ちを、すぐに戻すことは僅かに難しい。

平行線に見えるものも、1°ズレれば、どこかでぶつかり、そして離れていく。そうなる前に修正するためには、常にとはいかなくても、お互いが相手をそれなりに気にしてあげなきゃダメだ。平行線に見えるから、これは大丈夫だとよそ見していては、気づけばガシャン。これは常に念頭に置いておきたい。

 

 

バス停でバスを待っている時、「暑くなったと思ったのに今日は寒いわねぇ」という嗄れた声が聞こえてきた。スマホの画面から目を離してそちらを見ると、私の次に並んでいるおばあちゃんが、おばあちゃんの次に並んだお兄さんの方を見上げていた。あぁこの二人の会話か、と認識してスマホの画面に目を戻し、ボールから出てしまったポケモンを再び捕まえようと手を動かす。4度目くらいの投球で漸くそのポケモンは捕まった。弱いポケモンなのに手こずったなぁ。まぁそんなもんかぁ。

現代社会は便利なもので、アプリを起動させると、自分が乗りたいバスが今どこにいて、何分待てば来るのかがわかる。そういえば京都に行った時は、バス停に「あと○分でどこどこ行きのバスが来ます」「そのバスは今●●のバス停にいます」なんて表示されていて驚いた。他のバスでも稀に見かける。全国のバス停に導入してほしいところだ。

さて、アプリによると、バスが来るまでにはまだ時間がかかりそうだった。近くのポケモンは全て取り終えて、手持ち無沙汰になった。

ふいに横を見ると、おばあちゃんはしきりに「これから買い物に行かなくちゃいけなくてねぇ」「お惣菜を買って帰ってもいいんだけど、できるだけ作りたいと思っているのよ」とゆっくり話していた。しかし、話しかけている相手のお兄さんは、引きつった顔をしている。知り合いではないんだろうな。お兄さんは「ッス」と首をへこへこしながら、イヤホンを耳にねじ込んだ。

まぁ、そりゃあ人間なんだから、話したくない気分の時もあるし、知らない人と話すのが苦手な人だって沢山いる。何より、突然話しかけられて世間話を始められたら正直戸惑うし、面倒だ。きっとお兄さんも面倒でイヤホンを耳にねじ込んだのだろう。わかる。

ところが、おばあちゃんはイヤホンの意味をわかっていなかった。まだ話しかけ続けている。お兄さんはスマホの画面に釘付けだ。多分わざとだろう。おばあちゃんは喋りを止める事はせずとも、返答もなければ目も合わないお兄さんの方を見る時間はどんどん減っていった。どこをみているのだろうか。目の前にある小学校の教室から聞こえる声に意識がいっているのだろうか。間を置きながらになりつつも、おばあちゃんの口は止まらない。遠くを見ながら喋る姿は、先程までよりも覇気がない。

急に悲しくなってきた。

確かに、隣に並んだだけの知らない人に話しかける行為は、褒められたものではない。話しかけられた側からすると、自分に全く関係ない話をされても、こっちは音楽を聴きたいしラインの返信もしちゃいたいしポケモンも取りたい。話は何だか回りくどい。知らないその人の話を聞いて、何かが得られることもそうそうない。ただ自分の時間が奪われるだけだ。隣のお兄さんは善人ではないが、悪いことをしているわけでは決してなかった。

おばあちゃんは、家に人がいるのだろうか。それとも1人なのだろうか。

私の祖母は、4年前に祖父が他界してからずっと一人暮らしだ。普段は近所の人とすれ違った時と買い物に行った時しか人と話さないから、貴女から電話がかかってくるととっても嬉しい、と声を弾ませているのを聴くと、本当は毎日電話したいなと思うのに、なかなかそうもいかない。

今隣にいるおばあちゃんが、どんな暮らしをしているかは知らない。もしかしたら3世帯住宅に住んで、毎日大勢で食卓を囲んでいるかもしれなくて、毎日たくさん喋っているのにそれでも満足しないような、手に負えないほどのお喋りおばあちゃんなのかも知れない。だけどそんなことはわからないので、考えるのをやめた。

手に持っていたスマホをバックの中にしまった。バスがいつ来てもいいように、手にPASMOだけを持って、おばあちゃんの目を見てみた。目が合って、出来る限りにっこり笑ってみた。大丈夫だろうか、不自然な笑顔になってないだろうか。

そんな心配は無用だった。そんなもんだ。おばあちゃんもにっこり笑って、私たちは実のならない話をゆっくり交わした。 別に私は善人ではない。半分以上は、自分のためだった。

 

 

例えば、夏の暑い日に、ショートパンツを履いて、薄い掛け布団を肌に直接感じるのが気持ちいい日もあれば、薄いガーゼの長スボンを履いて、掛け布団をお腹だけに掛けて足を出すのが気持ちいい日もある。それなのに、「風邪を引くから掛け布団をしっかり足まで掛けなきゃダメだ」と言ってくる人は、何なのだろう。纏うものが違うだけで、本質は変わらないはずなのに。

これはただの愚痴だ。別にここから話を展開しようとは思わない。ただ、本質を見ようとせず、自分の浅い経験や少ない知識で簡単にものを判断してしまうのは非常に危険だと思う。常に疑問を持って考えなきゃだめだ。聞いてるか!パパ!あんたのことだぞ〜〜!!! "そんなもんか。" で終わらせられるもんか!せめて一呼吸置いてから発言してくれ!じゃないとパパのこと、嫌いになっちゃうからねーーーっ!!!!