ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

「映画観に行こうよ」というデートのお誘いに少し抵抗がある

 

私は映画を観に行くことが好きなのだが、誰かと一緒に行くよりも、一人で観に行くことの方が圧倒的に多い。友達がいn……ごほん、端的に言ってしまうと、映画を誰かと一緒に観に行くのが苦手なのだ。

 

 

【映画は気分で観たい】観る作品の選び方

映画を観に行くことはつまり、「映画館」という箱の中に2時間前後拘束され、問答無用でその映像をぶっ続けで観せられることだ。途中喋る事ももちろんマナー違反なので許されず、ただただ受信する、インプットだけの2時間。その日のコンディションや気分によって、観れるものと観れないもの、観たいものと観たくないものがないだろうか?

その日になって初めて、そうでなくても前日や前々日になって「日常を切り取るような映画が観たい気分だな」「アクション観てスッキリしたいな」「ラブストーリーは今は観れないな」などと実感が湧くことがある。そんな気分に、相手に合わせさせるわけにはいかないし、相手にだって気分はあるだろう。二人で○○を観に行こうと盛り上がっていたのに、「なんか今日は○○の気分じゃないな」なんて言おうものなら、「えっ、○○が観たいって言ってたじゃん!?」と喧嘩は避けられない。・・・まぁ喧嘩はしたくないし、そもそもこんな事はもちろん言わない。しかし、結果としてどこか我慢して観る、とまでは言わなくとも、釈然としない何かをどこかに抱えた状態で観る、という結果になることがたまにある。同じお金を払うなら、もっと良いコンディションで観れる日に観たかったなぁ……なんて考えてしまうのはもったいない。

仕事ではなく趣味であり、時間や作品を選んで観に行くことができる映画。そんな映画は気分で、しかしちゃんと観たい。

 

【映画館は"逃げ"の場所】非日常空間を完璧に作り上げたい

先ほども述べた通り、映画館で映画を観るということはつまり、箱の中に2時間閉じ込められて問答無用で映像を観させられることだ。これは非日常空間として、良い逃げ場所になると思っている。特大の画面、迫力の音響、これも庶民の私にとっては日常から離れたもので、特別感がある。普段は食べないポップコーンも、普段は飲まないタピオカミルクティーも、非日常を作り上げる要素の一つだ。(ちなみに、私は映画鑑賞時にタピオカを飲む事を推奨している。喉の渇きも潤い、腹持ちの良いタピオカが空腹を防ぐためだ。さらに映画館のような暗い空間だと、我々おじさんおばさんが抱くような「タピオカって若い子の間で流行ってるあれでしょ……」という小っ恥ずかしさも感じる事なく飲める。)

(※今、映画館では非日常空間を完璧に作り上げたい、という話をしております)

しかし、隣によく知った顔があると、そこに日常が残ってしまう。完璧な非日常空間とはならなくなってしまうのだ。完璧な非日常空間を作り上げるには、きっと一人で行くのが良い。

ただこれは理由としては少し弱い。なぜなら、その非日常空間を2人で味わいたい!という考え方もあるからだ。それくらいの間柄の人とならきっと気にならないだろう。

 

【えっと何だっけあの、】直後に感想を喋るのが苦手

あぁ、これが本当に苦手だ。観ながらコメントできるなら楽しいのだが、全部を観終わった後に「あれはこうだった」「これはこうだった」という言葉が中々出てこない。一人で観に行くと、帰り道で少しずつ考えたり、日常で触れるものからある場面を思い出したりなんかして、整理することができる。だが、鑑賞直後には時間が足りていないのか、相手と喋りながら考えを整理ということが難しい。咀嚼する時間が欲しいのだ。そういえばその場で求められ発言した内容を後日悔やむことは頻繁にあるし、そういえばその場で与えられた議題についてのディベートも苦手。頭悪いんだろうな。

何か言わないとと思うと、「面白かった」「○○がかっこよかった」「○○の演技うまいね」などといった安直な感想しか出てこず、大変不甲斐なくなる。

一昨年、スパイダーマンホームカミングの映画を観に行った時、それまでアクションが多いような映画はあまり観たことがなく(しかし半年後にはMCUを片っ端から観るようになる)、しかも観たのが慣れない3Dだったことから、凄まじい臨場感に驚いてしまって、元々ない語彙力が底をつき、観終わった後ずっと「疲れた……」としか言えないということがあった。これは私にとっては『まるで自分がスパイダーマンになったかのような臨場感で、のめり込んで観てしまった。展開も息を飲む予測不能のもので、思わず力が入ってしまった』という、つまりは、面白かったよこの作品すごいね、というプラスの感想なのだが、もちろん一緒にいた人には「なんかごめん……疲れさせちゃって……」とマイナスに捉えられ(当たり前だ)、大きく反省したのであった。

このように、映画を観た後の感想を述べ合うことが楽しい!と思えない私にとっては、誰かと一緒に映画を観に行くというのはあまり心が踊らないイベントとなることが多い。一緒に観てる時間は個々が画面に集中しているし、終わった後もうまく喋れない。そんなことでは、私と一緒にいても楽しくないのではないか、時間を無駄にしてしまっているのではないか、と思ってしまうのだ。別々に好きな時に観て、後日会った時に「あの映画観た?」「観た観た!あれさぁ〜」と語り合うのが一番良いのではないかと思ってしまう。まぁしかしそれも、時間が経つと忘れてしまうことも多いから悩みどころだ。

 

【映画の醍醐味】余韻を楽しみたい

これが一番大きな理由だ。

映画館の音響って凄くないだろうか?私が定期的に映画館に行きたくなるのは実はこの音響を楽しみたいためで、野菜を切ったり紙がぱらっと落ちたり、そういう些細な音が際立って聞こえる感じがたまらない。足音ひとつとっても、ちゃんと左から自分の後ろを通って右に歩いていることがわかるようなリアルさだ。いや、リアルよりリアルな音を再現していると思う。特にIMAXはやばい。あれは凄すぎる。(これって巷で話題のASMRなのだろうか?よくわからないけど、音フェチな私にとってはASMRに一度ハマってしまったら抜け出せなくなる気がするので、動画サイトで検索しないように常に自制心を働かせている。)

(※今、余韻を楽しみたい、というタイトルで、映画館の音響がすごいという話をしております)

この様に映画を観ている時は音を楽しめるのだが、これは映画を観終わった後でも楽しみが続く。席を立って自分が歩く足音、人混みのざわざわ、コーヒーカップを置く音、信号が青になった時に流れる音、風で服がなびく音、、、。普通気にも留めないような音が、全部耳に際立って入ってくる。音が、立体的に聴こえるのだ。きっと耳が敏感になっているのだろう。このような状態には、映画館で映画を観た後、以外に陥ったことがない、特別な状態だ。まるで自分が映画のワンシーンに入り込んでしまったような、そんな感覚にもなる。私はこの映画の余韻がたまらなく好きだ。

しかし、誰かと一緒にいればもちろんその敏感さはすぐになくなってしまう。一人でいるとあらゆる音に向ける意識を、二人でいればその相手に向けるからだ。それはそれでもちろん楽しいことがあると思うが、折角なら映画の余韻を楽しみたいなぁと思ってしまう。

 

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さて、今まで「映画を一人で観たい理由」を述べてきた。これらが重なって、一人で観に行く方がいいなぁと思ってしまうのだ。

じゃあデートで映画を絶対に観たくないか?といえば、そうでは決してない。

 

【誘い方誘われ方に注意】「映画観に行こうよ」は具体性がなくて駄目

まず、デートへの誘い方としてよくあるのが、作品は特に指定せず「映画観に行こうよ」というものだが、その後「なにか観たいのある?」「そっちはどう?」と、多少グダついてしまうのが気になる。気を遣って、対して興味のない映画なのに「いいね観たいと思ってた!」という自分に少し苦しさを覚えることもしばしばだ。

誘い方に気をつければ、実現した映画デートは良いものになるかもしれない。最初から「あの作品を観たいんだけど興味ある?良かったら一緒にどう?」と誘えばいいと思うのだ。

「○日空いてる?」と言って要件を最初に言わない誘い方も悪。

「映画観に行こうよ」と言って具体的な作品を最初から言わない誘い方も悪。

観たい映画も最初から指定する、せめて選択肢を出す、くらいした方がいいと思う。(※もちろん、映画なら何でもいいので相手に全面的に合わせるつもりの場合、映画の趣味がよく合うことを知っている場合など、例外はある。)

 

【頭悪くてごめん】うまく喋れなくてもOK、もしくは沈黙が気にならない人となら行きたい

無理して喋ろうとするからダメなのだ。『やばい、感想言わないと、楽しかっただけでは薄っぺらい人間だと思われるかな、なにか言わなきゃ・・・。』そう思うから、いけないのだ。映画館を出た後、黙ってしまうと、さも映画がつまらなかったかのような空気になってしまうのが気になって、焦ってなにか喋ろうとしてしまう。でも本当は無理をしたくないのだ。ふと思いついた事を、思いついたタイミングで言うくらいが良い。思いつかないなら、ぼーっとしていればいい。そう思っていられる人となら、一緒に行きたい。

そういう人って周りに何人かいるんだけど、私の場合、大体映画を観に行こうとはならないのが難しいところだ。

 

【絶妙バランス】途中で手を繋がれた時のドキドキは尋常じゃないよね

私は手グセが悪く、常に何かに触れていたいタイプなので、大抵、泣く可能性も考慮に入れ、ハンカチを常に手に握って映画を鑑賞する。一緒に観にいけば、隣に座っているわたしはずっとハンカチをにぎにぎしているので、これが嫌な人は誘わないでください。さてある時、ハンカチから手を離しドリンクを手に取って飲み、ドリンクを置いた瞬間のその油断した手を、隣に座っていた彼氏の手によって包まれたことがある。この時、私は本当に、ドキドキした。正直もうストーリーの一部が記憶に残らなかったくらい、ドキドキした。その時の彼氏がどうだったかは知らないが、私は映画にすっかり夢中で隣をあまり意識しないようにしていたので、まさかそんな事をされるとは1ミリも思っておらず、その不意をつかれた結果、めちゃくちゃドキドキしてしまったのだ。その頃彼氏とはだいぶ付き合いが長くなってきていて、普段手を繋ぐ場面ではほとんどドキドキすることはなかった。のに、映画館でかかるマジック、なにこれ、すごい・・・。

映画館で手を繋ぐ、という事は、考えてみれば絶妙なバランスの上に成り立つドキドキだと思うのだ。前提として、私は公衆の面前でイチャつくことが好きではないのだが、映画館はパブリックな場でありながら、暗く、全員が画面に集中しているため視線も気にしなくて良い。この絶妙なバランス(何回言うねん)の中で、二人にしかわからない秘密を、視線を交えず共有している感じ、めっちゃドキドキするねん。なんか字に起こすとキモいんだけどさ、伝わってるかなこれ?

相手や映画の内容によっては「邪魔するなよ……!」とイライラしてしまうこともあると思うので、万人にオススメはできないが、こうやってデートで映画館に行けば、映画のストーリー以外を大いに楽しめることもある。

 

【お腹いっぱいになると眠くなるし】一人じゃポップコーンは食べられない

映画館のポップコーン、大抵はビックサイズだ。これのどこがMなんだ、これを一人で食べられるなんてただのマゾやろ、ポップコーン・マゾや!(意味不明) などと思うことがある。私がよく行く映画館には一人用の常識的なサイズのポップコーンがあるので問題ない・・・と思いがちだが、ポップコーン、一人で食べるとそんなに美味しくないということに気づいた。もう完全に私個人の好みの問題だけど。だってめっちゃ口パサパサするし、あとなんかガサガサと手に取る時の音や咀嚼する時の音が、映画の音を楽しみたい私にとってはうるさくて、デメリットの方が大きいように感じてしまう。まぁそれでも食べたくなることあるんだけど・・・。じゃああれの何がいいかって、隣の人と一緒に食べて、手が当たるかも〜みたいなプチドキドキとか、あとは味がよくついているものとついていないもの(特にキャラメルポップコーンは顕著)のどっちを取れるかみたいな小さなワクワクとかだと思っている。うわ、さっきから全然味濃いの取れへん!お前が全部食べとるんやろ!みたいな。あれが良くないですか。だから一人の時に買ってもあんまり意味ないんです、誰かと一緒に、ポップコーンを、食べたい。誰かと一緒に、映画館でポップコーンを・・・!

 

 

・・・あれ?

わたし、普通に、映画デート、楽しんでるな?