ぼやきたくもなる世の中

〜秩序のない現代にドロップキック〜

騎馬戦の大将をつとめた時が人生二回目の挫折だった

 

 

騎馬戦という、運動会花形種目の、大将。

・・・めちゃかっこよくない?

そんなものになって、まさか世の中の不条理さにぶち当たるとは、幼いわたしは夢にも思っていなかった。

 

 

 

--君は、どちらかというと冷淡な人だよね。

 

事あるごとに、いろんな人に言われてきた言葉である。

いやいや、どちらかというと涙脆いほうだし、人をすぐに突き放す事もできないタイプなので、あまり心当たりがないのだが、決まって私は「そうかもね」と返すようにしている。これが冷淡と言われる所以なのかもしれない。淡白だと言われる方がまだしっくり来ると自分では思っているんだけど。

 

 

・・・ということを実は少し気にしていて、それを親しい先輩にこぼしていた時、先輩はわたしを意味ありげにじっと見つめた後に、こう言った。

 

--君には、若いうちから絶望した経験が他人よりも多くあると思う。諦めをつけることをよく知っていて、見切りをつけるスピードとポイントがある意味残酷だ。悪いことではなく、だからこその強さがある。そういうことじゃないかな。

 

これを言われた時はスッと消化できた。なるほどなぁ。

 

 

親と話していても「達観しているなぁ」と驚かれることが多いのだが、なんだか少しだけ物悲しさを感じてしまう。

コドモでいられるはずのその場所はいつの間にか消えていた、いや、望んでもいないのに自分で消してしまったのだろう。

大人になるとは、諦めの良さを会得し、折り合いをつけるのが上手くなってしまうこと、なのかもしれない。それが大人なのだとしたら私は、ずいぶん早くに手にしてしまったと後悔せざるを得ない。

 

 

 

大人になるまでに、程度の差こそあれ誰しもがどこかで持つことになるだろう、その「諦め」の思考は、元を辿ればいつから植えつけられたのだろうかと具体的に考えた時、「小学6年生の運動会」という結論を導くのに、そう迷いは生まれなかった。

今回はその、「小学6年生の運動会」の話をば。

 

 

 

をば・・・・・・・・・。

 

 

 

なぁんて、大層な前振りをしてしまいましたが、ただの「どうしても悔しかった昔話」です。

 

 

 

 

4つ上の兄がいる私は、家で毎日のように喧嘩を繰り広げていた。喧嘩の原因なんて何一つ覚えていないが、どんなきっかけであれ、口でも腕でも兄に勝てることはなく、いつも最後には私がぎゃんぎゃんと泣き喚いていた。小さいうちは泣くと駆け寄ってきてくれた母親も、小学6年生ともなれば全く心配してくれない。それどころか、「また泣いてるの?」と私が怒られるようになっていた。(今から考えれば、私の泣き声が母にはストレスだったのかもしれないと、少し申し訳なく思う。……いや、だとしても、泣かせる兄が悪いのだが。)

そんな日々の負け戦を通して、知らぬうちに泣きながらでも、腕っ節も口も、そして忍耐力も鍛えられていた、らしい。

 

私は、学校という場所では強かった。

 

身長が割と高く、小学校のクラス内で背の順で並ぶと男女合わせても後ろから数番目。自分より小さい男子がほとんどで体格は申し分無しな上に、握力もクラスの女子の中で一番強かった。

また、クラスの男子から何を言われたとしても、兄の口から出るものより酷い言葉は出てこない。からかわれることがあっても、日々の兄からの暴言に比べればと、何も感じず全て流していた。たまに気が向いて言い返すと、口が達者な私の言葉が必ず最後となり、男子は逃げるように目の前からいなくなる。なんとなく私が悪いような感じになるので、それが嫌だったが、男子が馬鹿なのがいけないと思っていた。

 

 

早い話が、クラス内では「凶暴で怖い姉御キャラ」が定着していた。凶暴、と小学校の時に何回言われたかわからない。今から考えるとすごく恥ずかしいしイタイなぁと思うのだが、可愛い女の子になりきれなかった私は、防衛の意味でもそんなキャラでいた気がする。

 

 

 

時は小学6年生5月。通っていた小学校では、学年が変わってすぐのその時期に、運動会が催される。

我が小学校の運動会の仕組みは、クラスを半分に分け、それを全校で合わせて赤組対白組で戦うものだった。

小学校最後の運動会、私は白組であった。仲が良い子はなぜか、みんな赤組になってしまったので少しつまらなかったのを覚えている。

 

 

4月でまだ知らない子も数人いるようなクラスで、早速騎馬戦の4人組を作ることになった。私は先生の指示により、身長が高いが細身・手が長いという理由で、馬を組む方ではなく上に乗る騎手になった。本来背が小さくて華奢な人が優先されるポジションだし、それにお分りいただけるだろうか、一番目立ち重要なポジションだ。そういえば去年もそうだった。直接争うことになる、確かに「凶暴女」の名に相応しいポジションではあるか・・・。さらに、これも先生の裁量で、私を支えられるような比較的ガタイの良い子達が一緒にチームとなった。試しに教室内で騎馬を組んでみる。景色が、去年よりも高い気がした。うん強そう、と先生は満足げに頷く。

 

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各クラス内でチーム分けをした翌日、学年全体で、騎馬戦の白組予選トーナメントが行われた。白組内で順番をつけておくためだ。優勝した騎から順番に、大将、副大将・・・と決まっていく。

我が白組には、私より身長が高く、学校で一番の乱暴者で有名だった女の子(ちなみにその子は「暴君」と呼ばれていた)が騎手をつとめる優勝最有力候補騎がいたので、他の騎はみな「副大将は誰になるんだろうね」と話していた。

 

ところがどっこい、誰しもその騎が大将になると思っている中で、なんだか、私たちはあっさりと、その騎に勝ってしまった。やけにあっさり勝ったのを今でも覚えている。予選だからと手を抜いていたんだろうか?「暴君」の紅白帽は、ものの数秒で私の手の中に収められたのであった。

 

それを見ていた友達や学年の先生は静かにどよめいて、少し気持ちがよかった。担任の先生も満足そうにしていたと、今改めて思い出す。今まで関わりがなく、喋ったことのなかった「暴君」に、肩にバシッと手を置かれ、「任せた」と一言言われたことが強烈に記憶に残っている。(かっこよすぎないか、「暴君」……。)

 

私が「暴君」に勝った噂はすっかり広まり、女子や下級生にはあっという間にファンができ、男子にもますます恐れられ、先生達にも「暴君」さんに勝つとは、と一目置かれることになった。(人気の得方がヤンキーのそれ。)

そんな注目の的になった私は、プレッシャーなどは全く感じず、ただ誇らしさだけがあった。多分、幼いと調子に乗りやすい。

そんなこんなで私は、白組大将となったのであった。

 

 

運動会当日。騎馬戦では騎手のみんなが普段体育の授業で使っている紅白帽を被り、それを取り合うわけだが、大将と副大将だけはハチマキだ。しかも、大将のものはひとつだけ単色ではなく特別仕様で、表が白、裏が水色のおしゃれハチマキである(?)。毎年大将だけがつけてきた、伝統のあるおしゃれハチマキ。たすきも結び、気合も十分。友達や下級生にたくさん写真を撮られ、キャーキャー言われていたのも懐かしい。

 

※ここが、一番調子に乗っている場面です。ここから落ちていきます。乞うご期待。

 

 

さて、騎馬戦の試合の流れだが、

【1】総当たり戦

大将、副大将以外の騎が一斉にスタート、決められた時間内に帽子の取り合いをする。帽子を取られたグループはその時点で退散。時間内であれば複数騎の帽子を取ることも可能。ちなみに大将と副大将は傍観。

【2】一騎打ち

帽子を取られず生き残った騎が、順番に出て一対一で戦う。負けたら待機している他騎に代わり、勝ったら引き続き戦う。【1】で生き残った騎、副大将、大将の順番に出て行き、先に相手の大将を倒せば勝ちだ。

 

このルールだと、大将は出番がない可能性も大いにあるので、実は損な役回りだなぁと思っていた。つまり副大将である「暴君」が負けなければ、私には出る幕がない。

ちなみに5年生の時に出場した騎馬戦では、【1】の総当たり戦で4騎の帽子を取り、【2】の一騎打ちでは6人連続で倒していたので、その時めちゃめちゃ活躍していたなと今思い出した。私を騎手に指名した担任の先生は、もしかしたらそれを覚えていたのかもしれない。兄に感謝する、人生で最初で最後の場面だ。鍛えてくれてありがとう。(でもお前のことは嫌いだ。)

 

 

さて【1】の総当たり戦は、私は戦場に出ず見守るわけだが、白組は明らかに劣勢だった。数を数えなくとも、赤色の帽子が多いことがわかる。まずい状況だったが、この時の私もまだまだ自信に満ち溢れていた。

ようは、私が負けなければ白組は勝つ。簡単な話だ。しかも、私の前には「暴君」もいる。私たちが出れば、白組が負けることはない。

 

 

【2】の一騎打ちが始まると序盤白組は奮闘し、赤組と白組の残りの騎数はとんとんになった。白組は少数精鋭部隊だったようだ。そんなわけでいい感じに試合は進み、いよいよ副大将対決となった。

 

赤組副大将の騎手は、私の隣の家の子だった。所謂幼馴染と位置付けられる はず のその子だが、馬が合わず喋ったことはほとんどなかった。それどころか何故かいつも睨まれるし、私が家でピアノを弾きだすと決まってそれより難しい曲を彼女も弾きだすし、理由はわからないがめちゃめちゃ嫌われていて、仲が悪かった子なのである。負けちゃえ。「暴君」、勝っちゃえ!!

 

副大将戦が始まった。大将として出番を待つ私は、真後ろからその戦いを見ていた。背が高い「暴君」は終始上から攻め、圧倒している。やっぱり予選の時は手を抜いていたのかな・・・。向こうのハチマキに手がかかるのに時間はそうかからなかったが、何故か試合が終わらない。

あれ?なんでそんなに勿体ぶっているんだろう?そんな違和感を抱きしばらく時間が経つと、軍配が赤組に上がった。

 

え・・・負けた?「暴君」が??

 

保護者も合わせると3000人は軽く超えるくらいの歓声と拍手が、遠くに、しかし確かに聞こえる。

 

試合が終わり、「暴君」の騎はすぐにこちらに戻ってきた。私たちは思ってもなかった早さで出番が来たので慌てて騎を組み出したが、横を通る「暴君」が、あれはおかしい、とつぶやいたのが、はっきりと聞こえた。

ん???

あれはおかしい・・・???

その言葉の意味を考える暇もなく、自分たちの出番はやってくる。

 

 

出番の前には、必ずハチマキチェックが行われる。固く結んでいると取れないため、程よい力で結ばなければならないのだ。私は白組顧問の先生に軽く結び目を触られ、「結び直そう。力を抜いて」と言われてしまった。確かに、力が入りすぎたかもしれない。赤組はもう準備ができているようだったので焦る気持ちもあったが、ゆっくりハチマキを結び直した。

 

そして私は、大の不仲の彼女と対峙した。私は大将だし、自信をなくしてはいけない。こいつに勝つ、と闘争心剥き出しの私に対し、彼女は薄ら笑っていた。

なんだかとても、ムカついた。

一瞬でその赤いハチマキを取ってやる。

ピアノの実力は確かに負けるが、腕っ節は負けないぞ!!

 

 

笛が鳴った。同じタイミングで、3000人超の歓声が聞こえる。応援団も、私だけのために曲を用意してくれていて、声を張り上げて歌っている声が聞こえる。白組の応援団長は、私が当時好きだった男の子だった。もちろん、すごく力になった。

赤組副大将の彼女よりリーチが長い私は、圧倒的に有利だった。手を組み、タイミングを見計らって振り切り、ハチマキに手が届いた。よし、あとはこれを、これをーー!

 

 

その時、「暴君」の声が思い出された。

あれはおかしい。

 

そうなのだ。あれはおかしかった。

手にハチマキはかかっている。上に引っ張ると取れるはずのそのハチマキは、何故か微動だにしないのだ。

 

は?どういうこと?よこせよそのハチマキ!

 

どんどん焦っていく。おかしい、取れない。

ハチマキを取ろうと必死の左手に集中していくほど、右手で相手の手を払う動作はおざなりになっていく。そこをつかれた。右から、手が伸びてきた。まずい、でも私がこれを取れば!!

 

 

 

笛が鳴った。赤の軍配が上がっている。私のおしゃれハチマキは、彼女の手に渡ってしまった。

 

 

 

歓声や落胆の声が、頭蓋骨に響いた。騎馬から降りるとき、少しよろけてしまった。騎馬を組んでくれた同じチームの子たちに励ましの声をかけられたが、歓声が大きすぎるせいでよく聞こえなかった。うるさい。うるさいうるさいうるさい

 

頭が混乱していた。なんで取れなかった?

 

あれはおかしい。

 

 

白組顧問の担任の先生が、こちらに近づいてきた。先生は私たちを一通り労い、いけそうだったのに残念だったわねぇと言った後、「どうだった?」と聞いてきた。

 

私は言った。「あれはおかしい」。

 

みんな私の顔を見つめるが、何も言わない。私は視線に耐えきれず、下を向きながら続けた。

 

副大将戦の時も、今回もそうだった。確実にハチマキに手がかかっているのに、取れなかった。なんでかわからないけど、悔しさよりも疑問が残る試合だった。

 

 

顔を上げると、勝利を収めた赤組副大将の笑顔が見える。「以上で、女子騎馬戦を終了します」とのアナウンスがグラウンドにこだました。

 

それと同時に、現実が見えた。

自分のハチマキを取ろうとしたその副大将は、自分では取れない様子で、チームの子に取ってもらい始めたのだ。それでもチームの子は「あはは取れない」と笑いながら言って、赤組顧問の先生が手を出す。しばらく指先を動かし、漸く取れたシワシワのハチマキを握り、その副大将の彼女は「ありがとうございます」と笑顔で言っていた。

 

 

あーー、思い出しただけでムカムカする。

あすみません、続けます。

 

 

つまり、違反行為と伝えられていた「ハチマキを固く結ぶ行為」を彼女はやってのけていたのだ。と言っても確かに基準は曖昧で、どこからが固いのかの決まりはなく、顧問の先生の判断に委ねられていたルールが良くなかったのだろう。そこをうまく利用されてしまった。

 

さらに後から、隣人の彼女は赤組の顧問の先生の大のお気に入りの児童だったことが判明した。成績優秀、運動神経も良く、ピアノが弾けて優等生キャラだが友達は少ない彼女は、昔から何かと目をかけられ贔屓されている、という噂が、運動会直後から出回っていた。その上、「あの時彼女は固結びをしていた」「アメピンで髪の毛とハチマキを留めていた」などという目撃証言も出てきた。どこまでが本当かはわからない。

そんな噂が立っても、クラスメイトが「あの騎馬戦おかしかったよね?」と気付いていても、結果が覆ることはない。

「以上で、女子騎馬戦を終了します」のアナウンスで、私は負けの烙印を押され、白組大将が赤組副大将に敗北した歴史が刻まれたのだ。実際フェアな状態で試合をしていても負けた可能性はもちろん大いにあるが、そういう問題ではない。そういう問題ではないが、諦めざるを得なかった。

 

 

世の中納得いかなくても諦めざるを得ないことがある、しかもそれは私の努力や実力に関与しないところで起きる、ということを、体を張って学んだ小学校6年生の私であった。

 

ちなみに、人生最初の挫折は小学校3年生の時のピアノの発表会だが、この話はまた、いつかーー。

 

 

 

 

 

 

最後にいいですか?

あーーーーーーーーーーー、はらたつのりぃ!!!!!!!!!!!

 

 

 

(スベって終わるんかい)