人のコンプレックスをジャッジすんな
誰か私のコンプレックスについて、話半分でいいから聞いてほしい。
コンプレックスというにも種類はあって、考えすぎてしまう頭でっかちな性格とか、大人数の前だと緊張しすぎて手が震えちゃうこととか、こんなことも嫌だなぁと思っているんだけれども、今回は外見のことに絞って話をしたい。
話半分でいいから、なんて前提をつけたのは、私が外見について言及するのがすごく嫌いだからだ。
自分のも、他人のもそう。
芸能人の話題ですら、「好みかそうでないか」ということ以外は誰かとあまり話したくないし、聞きたくもないなと思ってしまう。
受け取る個人がその外見についてどう感じるかはもちろん自由だ。この子は一番だと思ってもいいし、いや良さわかんねーと思ってもいい。ただ、それ言う必要ある?と思う。
外見について何か言うとき、他人と比較して優劣をつけたり、傷つけるような表現を使ったりする人、結構多いでしょう。あるいは無意識にそういう表現になってしまうことが多々ある。それが、聞くに耐えないのだ。
自分の外見についても、親や恋人、気の置けない友人の前ですら、よっぽど言及したくないと思っている。
例えば背が高いことについて、母親には「かっこいいじゃん」と励まされてきたが、どんなに褒めてもらえようが私自身は良く思ったことはほとんどない。人生でいろんな人に何度も言われた「デカい」という言葉の方が深く深く刺さって抜けないからだ。
しかもそのほとんどは、傷つける意思なんてなく、何気なく発されたもの。だから嫌なのだ。意図しないところで人を傷つける恐れがあることを、大抵の人はカバーできてないのである。
身長の高さなんて自分の努力じゃあどうにもならないものを、なんで高かったり低かったりしたらわざわざ言及されなきゃいけないのだろうか。
「褒めてるつもりだった」「貶すつもりはなかった」という人もいる。ほう、それじゃあ、外見をお前に褒められて私(その人)が嬉しがると思うか?出会ったばかりのあなたに?大して信頼もしてないあなたに?
……自分でわかっていても刺々しさが抑えられない悪文、お許し願いたい。普段は声に出さない心の声が、まだまだ続く夏の暑さによって溶け出してきたと思って頂きたい。それにしても暑いねぇ。
もちろん、褒めてもらえて嬉しい人はいる。たくさんいる。信頼関係ができた相手に「君のここ、いいよね」って言われるのはちょっと嬉しい。それから誰も傷つかない素敵な表現を使う人も多くいる。ありがとう、そういう人。あなたがこの世界を悪くならないよう保ってください。
だけど私が度々思うのは、「勝手にジャッジしないでくださるかしら」ということだ。
今からとても些細だと思われるであろう話をする。だけど、私にとってはとても大事なこと。話半分に、読み流してもらえれば嬉しい。
*
「コンプレックスってある?」
友達から深妙な顔で言われたのは、夕方の静かなカフェの一角、バイトに行く前に縋るようにして味わっているティータイムの終わり際だ。フロートのソフトクリームはだいぶ溶けてしまっていて、ティーソーダと綺麗なグラデーションを成している。ちなみに目の前に座っているのは割となんでも話す男友達。自分に自信を持つために外見から変えていきたい、という話を聞いた直後だった。
うーんと言いながら、ティーソーダをくるくるとかき回し、私は少しの間に沢山悩んだ。表向きのやつを言うか、裏に抱えるものを言うか、迷ったのだ。綺麗なグラデーションは崩れ、全体が濁った頃、「いっぱいあるけど……ウエストかなぁ」と返した。
「え?なに?」
「ウエスト。お腹のくびれ」
友達は豆鉄砲を食らったような顔で、目をぱちくりさせている。なかなかこんなことを言う人もいないし、無理もないだろう。想定内だった。
「いやぁ表向きには、背が高いこととか、一重まぶたなこととか、鼻先が丸いこととかあって、それももちろんコンプレックスなんだけど、自分を鏡で見た時に一番テンションが下がるのはウエストなんだよね」
豆鉄砲をまだ食っている友達は、目を見開いたまま「なんで?ダイエットしたいなーってこと?十分細いやん」と返してきた。「あはは、そんなことないよ、脱いだら凄いんだから」「お前な、そういうことはいい意味で使うんだよ普通は」といういつものテンポの会話をした後、ちゃんと説明しないとなと思い、腰を浮かせて硬い椅子に座り直した。
頭痛や長時間の酷い目眩、午前中の低血圧から来る不調に悩んでいたわたしは、数件の病院を回った。そうして辿り着いたのは世田谷にある小さな病院だったが、そこの先生は他とは違うアプローチをしてきた。
「首から背中、腰までのレントゲンを撮りますね」
散々頭のMRIやら脳波やらを撮ってきたわたしは、それだけでいいのかなと思ったのだが、腰付近のレントゲン写真を見てかなり驚いた。
「ま、曲がってる・・・」
「曲がってますね。それから、首も逆のS字を描いています。そりゃあ自律神経が崩れるわけです。背が高くて細身だから、そういう人は起立性低血圧にもなりやすいですね」
帰宅し、お風呂に入るために服を脱いだ時、鏡に写った自分を見て納得した。
だからウエストが非対称なのか。
ずっと気になっていた。右はくびれているのに対して、左はほとんどくびれがないのだ。よく見ないとわからないかもしれないが、一度気づいたらとても気になってしまうことだった。少し前より太った自覚はあったので、変なお肉のつき方しちゃったのかなぁと思っていたのだが、そうか、骨だったとは・・・。
それからというものの、見た目だけではなく、身体の不調にも繋がってるこのウエストを見るたびに、一層深いため息が出るようになった。最近は家で筋トレもしていて、僅かずつではあるが変化が出てきて喜ばしい反面、左右の差が顕著になってきて余計悲しい。痩せてるかな?とルンルンした気持ちで覗く鏡を正面から捉えた時、必ず落ち込んでしまう。ダイエットなんて理想の体型になるためにやっているのに、努力ではどうにもならない所が目立っていくのは、とにかくやるせない。
そして、もちろんそう簡単に治せるものでもないため、いろんな療法を試しながら騙し騙しで治療をしているのだが・・・長い時間をかけて向き合っていかなければならないのだ。
……ということを一通り話し終え、真剣に聞いてくれていた友達は「なるほど……」の後に、こう続けた。
「え、でもさ、そんな些細なことが出てくるとは思わなかったよ(笑) 外見であんまり悩んでないの、いいなぁ」
人のコンプレックスを自分の価値観でジャッジすんな、アホがーーーッ!!!!!!!!!!
*
やっぱり外見のことに言及するなんて良くない。
結局は、各々の自分の感覚や価値観、裁量でしかジャッジできないのだから。
まさに、言わぬが花、だ。
花……はな……鼻……
鼻といえば、幼少期からずっと兄からの嫌がらせで、毎日のように鼻を押し潰されていたせいで、絶対にぜっったいにそのせいで、鼻が丸くなってしまったという話は、また今度。